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母親になるということは犠牲になって生きるということである
子どもを産むと人生が終わる
仕事も趣味も生活も大きなことから小さいことまで
やりたいことは何もできなくなる
毎日子供に踏まれ頭突きされ怪我しても手を挙げてはいけない
子どもに怒っても通じない
ましては謝罪なんてものはない
そのくせお菓子がいいジュースがいいとわがままばかり言われて
ご飯をつくれば一口も食べない
子どもなんて、産んだら自分の人生が終わるだけ
私はこれからずっと死んだように生きていくだけである
誰も助けてくれない
「家事なんて後回しで良い」「手を抜いていい」
そんな口ばかりで誰かが助けてくれるわけではない
結局自分でやるしかない
子どもを産んだ時自分は死んだのに
ずっと今でも亡霊として成仏できずにいる
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趣味にお金を使うのを辞めた。
人を応援するためにお金を使ったところで自分のもとには1円も帰ってこないことに気づいてしまった。
私が好きなのは応援ではなくわくわくするコンテンツをみることだ。それとこれとは話が違う。
コンスタントにお金を出すことによってコンテンツが続くのはそりゃそうなのだが、そのまえに自分の生活が終わってしまったら意味がない。
最近自分のご褒美になっているもの。
・たばこ
アイコスイルマという、ケースのない一番安価なものを買った。割引はいって3000円くらい。たばこ自体は1箱20本入り550円くらいなので、普通の紙たばこと変わらない。
今までは紙たばこをたまーーーーーーーに吸うくらいだったのが、家事の合間に1日2~3本は吸うようになった。気分転換になっていいし、紙タバコと違って匂いがつかないのがいい。おいしさは紙に軍配が上がるが。
別に吸わなくても生きていけるくらいの人間なので、減らせと言われたら減らせる。1日2~3本ってすでにかなり少ないほうだと思うが。
・ガスト
ガストのミニパフェとドリンクバーで550円。パフェがキモで、甘味がついてくることによって満足度がかなり違う。ドリンクバーも種類が多いのでしょっぱいものが欲しくなった時以外はなんでもカバーできる。ありがたい。
パフェってたまにたべたくなるのだが、こればかりは家で作るより外で食べたほうが美味しい。企業努力のたまもの。ありがとう。
だいたいこれを14時くらいのガラガラなときに頼んで、ノートとスケジュール帳を開いてひたすら思い浮かんだことを書きつづったり、スケジュール調整したり、やらなきゃいけない家事やもろもろをメモしたり、本を読んで琴線に触れた言葉を書き留めている。この時間が一番楽しい。
・図書館
払っている税金のもとをとってやるという気概で使っている。流石に学生に交じって勉強したり、、まではいかないが、蔵書をかたっぱしから読む勢いで借りては読み漁っている。インターネットでは他図書館からの取り寄せもできるので、しまくっている。これが0円。ありがとう日本。政治には不満もあるが、この制度は本当になくなってほしくない。何より本というのは人生のヒントになる。先人たちが書き留めてくれたものたちを、時代を超えても得られるというのは大きな財産だ。それが自分が求めている情報ではなくても、自分の意見と相反したものでも、違った考え方に触れられるのは自分の考えをさらに深めたりできるので大事なことだ。
・シール、文房具
そこまで本腰いれて集めているわけではないが、かわいいものを見つけたら手に取ってしまう。今では100均でも取り揃えてあるので、ああいうのは宝庫。
学生のころ、600円のシャーペンや300円の付箋ですら買うのをためらっていた。消耗品である文房具を買うのが好きではなかった。まず自分のために消耗品を買うのに抵抗があった。ましてやシャーペンともなると、もしかしたら使い心地が悪くて使わなくなるかもしれないと思った。親の金をそうやって無駄遣いするのが怖かった。でもほしいとも言えなかった。親に言っても「そんなもの買わなくても勉強できる」と言われると思ったからだ。
大人になった今ならわかるが、勉強がやりやすくなる道具があるならどんどん使っていくべきだ。買った後合わなかったらそれはそれで手放し方を考えればいいし、それもまた社会勉強になる。
親は「塾なんかいかなくても予習復習すれば十分」という人だった。確かに中学受験するわけでもないし高校大学も頭のいいとこに行くわけでもなかったので必要がないのもわかるが、人間、自分で予習復習が簡単にできれば塾は存在していないのだと思う。お金を出して人と一緒に人が見ているところで学校以外でも勉強するというのはかなり意味のあることだと考える。
同じく文房具も、親は最低限でいいという人だった。お金がなかったといえばそれまでだと思うが、必要なところには投資しようとはおもわなかったのか。
…親への批判になってしまった。とにかく、そういう子供の時の想いが今まわりまわってこんな形に表れている。
クルトガシャーペンを初めて買ったが、本当に子供の時に買えばよかったと思った。とても書きやすい。
文房具にもわくわくするが、子供のころの自分を救済するという意味でも、かなり楽しい趣味になっている。
人生は続く。
子供が生まれて大きくなって旅立った後、自分に残るものはなんだろう?と最近考える。
今までは趣味にお金をつぎ込んで今楽しければいいという感情で生きていたけど、これから先を考えたら、心を少しでも豊かにすること、ゆがみを減らしていくこと、子供の時の泣いている自分を少しでも救済すること、それが大事なんじゃないかと思う。
まだ27歳。もう少し大人になりたい。
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twitterもといXを見るのを辞めた。
というのも、気の滅入るニュースがいっぱい流れてきたり、心無い人間の心無い言葉が目に入ったり、良いことがないから。大量の情報を浴びるように得るのはとても好きなので気づけばもう10年以上やってきたけども、Twitterは、というかインターネットは年々治安が悪くなっている気がする。
あとオタク仲間のなかにも、やっぱり気があう・合わないがあって。
気が合う人ばかりと仲良くできたらいいし、所詮は趣味なのでそれが一番なのだけど、規模の小さい界隈だとそうも言ってられないところもある。というのも、オタクはピンチに直面した時、横のつながりでなんとかなってしまうことも多いので。
なので仲間というか味方は多いほうがいい。のだけど。
どうしても周りと比べてしまう自分もいる。「これに関しては自分が一番だ!」と勝手に自負してしまって、でも実際そうじゃなかったときに、何も手につかなくなるくらい気が滅入ってしまう。周りが悪いわけではなく、勝手に、自滅している。
そんなことを繰り返しているうちに、もう見るのはやめよう、と思ったのだった。
そもそも自分の生活がある。子供がいて、夫がいて、生きていかなきゃいけない。趣味のひとつに振り回されて生活がおろそかになるのはよくない。
オタクのしすぎて毎週末家にいなかったこともザラにあったが、そういうのも一切やめた。週末は家族で過ごすとか、家のことをやるようになった。生活が上手くいくようになって、快適になった。
アイドルを応援する、ひいては他人を応援する、ということは、まず自分の生活がちゃんとしてからやるべきだと思う。例えば自分が今独身でフリーでなにもしがらみない人間であったらオタクが生活になってしまっても構わないと思うけど、そうじゃない。自分一人の生活・人生ではないので。
また、アイドルはボランティアで活動しているのではなく、アイドルの生活をやるために一生懸命活動しているだけなので、「もうそこまで好きではないけど、応援しなきゃ」「支えなきゃ」という義務感でオタクする必要もない。オタク一人が辞めたところでそのアイドルは死ぬわけじゃない。
でも、はたと思ったが、これはただ逃げているだけであって、別に根本的な解決ではない。
別にこの悩みは、最近生まれたものではない。小さいころから形を変え、姿を変え、状況を変え、ずっと自分の中にあったものだ。
誰かを妬む。
自分が一番になりたいと思う。
どうして一番になりたいのか?
褒められたいからか?
自分が透明人間で、誰にも気にしてもらえず、忘れ去られるのが怖いからか?
アイドル側から嫌われてると思っていて、でも一番になれば、そうじゃないと思えるからか?
まだちゃんとした理由は分からない。何がそうさせるのか、自分の根っこの奥深く、見えない地中の真っ暗な土の中には、いったい何が埋まっているのか。
きっとそれがわかったら、自分はtwitterに戻るだろう
とは思っているが、それがいつなのかも、まだ分からない。
今週のつくりおき(写真なし)
自分用ざっくりメモ。
- 豚小間だんご(塩)
- 豆腐ハンバーグ(ケチャップとソース)
- 鶏むね肉のチキンサラダほぐし
- ゴーヤの味噌佃煮
- にんじんしりしり
- 大根ステーキ
- 切り干し大根の煮物
- 塩漬けゆでたまご
だらだら作って、大体2時間くらいで8品。焼くだけ煮るだけの簡単なものが多いけど、これだけ作れたら一週間のお弁当とお家でのご飯には困らない。
これプラス玉ねぎの櫛切り1玉・玉ねぎ粗みじん1玉・にんじん粗みじん1本を冷凍しました。ここら辺あるとコンソメスープもサクッとつくれて楽。
料理は下手ながらも好きではあって、包丁仕事はラジオ聞きながら何も考えずできるし、調理もいろんな調理器具・家電に仕事させる感じが大好きなんだけど、一番難しいのは献立考えるときですね。
なんせ、夫が漬物・酸っぱいもの・生モノNG。万能調味料の塩昆布も、火を通さない限りNG。
ただ野菜も魚も火を通せば食べれるので、基準はわかりやすくて助かりますが、つくる側としては、マリネや漬物の手軽さにあこがれます。切って混ぜるだけ!おしまい!みたいなもの、うらやましい。
野菜スティックとかも、出したら私しか食べないし。
毎日持たせてる弁当も、ミニトマト食べれないのでもっぱらにんじんとたまご頼り。良いんですけどね、おいしいから。
でも毎週にんじんしりしりは飽きるよなあ~
そんな夫の好きな食べ物はオニオンスライス。生ものダメなんじゃなかったの?と思いますよね。私も思います。
でもオニオンスライスって冷蔵で日持ちしませんからね。
上手くいきませんね。
夫からの控えめなクレームが出るまでは、積極的ににんじんしりしりを入れていこうと思います。
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地域で一番きれいな図書館に行くと学びに対する設備が整っていて、勉強する場所が多く用意されていたり、席もひとつづつコンセントが設置されていたりと、とてもうらやましく感じる。
自分が個々の地域の学生だったら、心置きなく勉強ができたんだろうなと思うけど、それは子供を持って自分で自分のことを賄わなきゃいけなくなってしまった大人だからであり、養われる側であったら図書館までの道のりと時間ですら面倒くさい・勿体ないと思うんだろうな。
人間は愚か。特に私。
どうして子供のころは能動的に行動しなかったんだろうと思うけど、大きく考えられるのは「体力がない」と「怒られたり何それ?と言われたりするのが怖い」ということだろうな。
息子には私のようになってほしくないので、いろんな勉強の仕方を提案したり、例えば大人に相談することも必要だと語りかけたり、自分がそれをやることでお手本になりたいと思うが、もし私に性格が似てしまったら「そんなことしても意味ないだろ」と一蹴しそう。
育児は難しい。
亀のおっちゃん
お天気が良いし、図書館に本返しに行くか~と思って、息子連れて図書館へ行きました。
昨年引っ越したんですけど、ガッツリ車社会なのに電動自転車しか持ってない、ってか免許すら持ってないんでとにかく移動が大変で、さらに寒いもんだから基本家にこもりっぱなし。
私の体調がよくないのもあるんですけど、そもそも体力が落ちてるのに移動に体力取られるし息子も元気だし、家で暴れたおすし、八方ふさがりみたいな毎日でしんどくて。
そんななかで、意を決して行ったら臨時休館。
え~せっかく来たのに~マジか~と思いながら近くのコンビニでジュースとカフェオレ買って、図書館前のベンチで日向ぼっこしました。
したら、暑がりの息子が裸足になって、図書館前の広場を駆け回り始めたんですよね。
自分は結構おとなしい子供だったのでわんぱく坊主の心理がわからないし、危ないな~とか誰かに何か言われたらどうしよう~*1とか思いながら眺めていると、阪神の帽子かぶったおっちゃんが近寄ってきて。あ~なんかめんどいこと言われるかな…と身構えてたら息子見てハハハと笑いながら、
「裸足で気持ち良いよなあ、お天気もいいし」
えー、おっちゃん優しい。大体危ないよとか言われたりするんだけど。
しばらく「かわいいね~いくつ?」「2歳です」「かわいいけど大変な時期だねえ」「そうなんですよ」なんて会話をしながら、なんかおもちゃになるもんあるかな?とカバンをごそごそしたおっちゃんは、小さな袋を取り出した。
「これあげるよ、飲み込んだりしないかな?」
それはちっちゃいべっ甲の亀。1cmくらいの滅茶苦茶小さいの、2匹。
奥さんと娘さんが長崎旅行で貰ってきたお土産らしい。
そんなもの貰っていいのか…
「持っててもしょうがないんだしいいんだよ!君が引き継いでくれ!」
がはは、と笑うおっちゃんに、貰った亀で遊ぶ息子。
正直2歳児に亀の良さはわからなかったらしく、すぐ飽きて走り回ってしまった。でもそんな、よじ登ったり駆け回ったりする息子を眺めながら、
「こうやってよじ登ることに意味があるんだよな、体が成長するんだ」
とおじさん。意味はわかるんだけど、毎日元気な息子が理解できないしついてけないしであっぷあっぷの私はついポロっと「すぐダメだよって止めちゃうんです、危ないと思って」と零れた。たぶんこのおっちゃんなら、「大変だね」と言ってくれそうだと思って。ずるい理由ではあるんだけど。
そうしたらおっちゃんは、まあそうね、と。
「親の気持ちだからじゃないかな?おじいちゃんおばあちゃんの気持ちでいればいいんだよ。“危ない”じゃなくて、“かわいいね”っていう気持ちでさあ。お母さん若いからいろいろ考えるとは思うんだけど。大丈夫、よじ登って怒られたらごめんなさいすればいいし」
そのお返事は、大変だね、なんてもんじゃなかった。毎日つらいと泣く私を、ふざけんなふざけんな!と大泣きしながら自転車を漕ぐ私を救う言葉だった。
泣いた。こっそりだけど。
おっちゃんが「まあ育児なんてさ、いろいろやっても後悔残るもんなんだよな」と、聞こえるか聞こえないかくらいで零してたのが、とてもよかった。
ありがとう亀のおっちゃん。
ところでおっちゃんは都内で教師をやってたらしい。
息子はよく通りすがりの人にも宇宙人語で捲し立てるのだが、たいてい話しかけられた人は私に向かって「よくしゃべりますね~」と言うことが多い。でもおっちゃんは息子の話を淡々と聞いて「そうか!そうなんだな~!」と会話してくれて、あれは比較的子供と接する機会があったからなのかな…と思った
図書館に来た理由も「お勉強したくてさ」とのことで、カバンに入ったExcelやWordについての分厚い解説本を見せてくれた。「ここら辺の地域は歴史が古くて、日本史好きなら気に入るスポットが多いと思う」といろいろ解説してくれたりと、学ぶことが好きなのかなーという印象を受けた。
おっちゃんかっこいい。
そんな大人になりたいな……と思いながら、私の財布の中にはお守りのように、貰った亀が2匹住んでいる。
*1:まあどうもしないんだけど、必要以上に周りの目を気にしてしまう性分
反する
語弊しか生まれなさそうだけど、育児は"両親への仕返し"みたいなところがある。
ギリギリ過保護にならないくらい優しいけど、感情の波が激しい母
面白いしいろんなところに連れてってくれたけど、気に食わないと怒鳴りつけて、デリカシーも壊滅的にない父
例えば中学一年生でオフ会とか行ってたけどそれでガミガミ怒られた記憶もないし、進路で口出された記憶もないし、いわゆる典型的な毒親とはだいぶかけ離れているとは思う。
でも長年家を出たかったし、それでも親を尊敬するという気持ちは今でもわからない。
自分たちのエゴで子供を産んで、育児はあっぷあっぷになって子供3人とも精神的にどこか闇を抱えている。五体満足ではあるが健やかに育ったかといわれると首をかしげたくなる。自分は大学中退フリーターを経て結婚だし、23歳の弟は持病はあるものの家事すらやらないニートだし、比較的まともな妹は春から専門学校生だけど本音を言えない人になっている。正直、反面教師でしかないと思う。
20歳の時に出会った年上の人と、23歳で結婚して家を出た。
夫は感情的になることもなければ、気に入らないことがあれば急に大声出して怒鳴りつけたりしないし、ヒステリックにもならないし、殴ったり蹴ったりもしないし、キレて中途半端に投げ出して突き放すこともしない。
いつだって論理的に落ち着いて思考を展開するし、私や子供がやることを頭ごなしに否定しないし(危ないこと、法的にアウトなこと以外)、体の悪いところがあればすぐ病院に行けと万札を持たせてくるし(自分もお金は持ってるのに)、家の掃除もちゃんとやるし、セルフネグレクトというワードからは無縁。
当たり前だけど、それがどんなに心地よくて、心強かったことか。
入籍翌日、「どんなに悪いことしたとしても味方でいる、それが家族だと思うから」と言われたときに、人生で一番泣いた。衝撃を受けた。
私はそれまで家族の意味を知らなかった。
第一子だから、父を怒らせないようにしたし、親が行きたいとこには全部ついていったし、興味ないって言わないようにしたし、逆に私が好きなもの否定されても我慢したし、あまりにお金がかかるので通いたかった音楽大学も中退した。弟と妹に申し訳なかったから。
まあ大学に関しては、自分でお金を稼いでまで通うというタフさもなかったのでそれまでなんだけど。毎日9時から21時まで大学にいなきゃいけない生活は普通にしんどかった。そこまで音楽やりたくなかったんだと思う。
正直自分は両親に似ている。疲れていると感情的になってしまうし息子のやりたいことを"危ない"で一蹴してしまう。良い母か悪い母で分けたら圧倒的に後者だ。
ただ絶対息子を自分と同じ道を行かせたくないから、一生懸命本を読んだり育児に関して勉強している。まだ息子とは意思疎通できないので難しいが、"愛"と"甘やかし"をはき違えないようにしつつ、なるべく息子の意思に沿えるような母親ではありたいと思っている。
ところで、お年玉や進学祝いとしていただいたものを、勝手に生活必需品や教育費に充てられてしまうのが嫌だった。
それを踏まえて、出産時に自治体からもらったこども商品券3万円分ほどを使わずにずっと保存している。子供に関する日用品ではなく、親から何かを買い与えるのでもなく、子供が欲しいと思った物に使ってほしいからだ。もちろん使用期限はあるので、遅くとも4歳の誕生日までには使い切らないといけないのだが。
それを母にとくとくと喋った(自分の実体験のくだりはもちろん割愛)あとで、子供用品専門店で子供の歯ブラシやおむつなどを購入したのだが、レジにて母が「ねえ、こども商品券使わなくていいの?」と聞いてきた。
本当に、なんも聞いてないし何もわかってない。
絶対にこんな親にはなりたくないと改めて思った。